『だべだべロック』完成秘話
だべだべロックが出来るまでの経緯を綴りたいと思います。
2014年1月某日、とある奥多摩町の会合が、蕎麦太郎カフェにて開かれました。そこで同席していた、堀隆雄(おくたま海沢ふれあい農園)酒井卓真(小河内振興財団)島崎勘(氷川保育園)の3人で、子どもから大人まで楽しめる、奥多摩町を盛り上げるご当地ソングを作ることが決まったのでした!!
アーティストの多い奥多摩町なら、他に適任者がいるのでは?と感じましたが、素人でも、地元出身の保育士が一生懸命作曲することがよかったそうです。
数日後、堀隆雄が、奥多摩町の方言、自然などをモチーフにした詩を完成させ、ギター、ピアノが弾けない、島崎勘は、アコーディオンで、作曲をすすめたのであります・・・
2014年2月7日
記念すべき第一回目のレコーディング!
場所は東京で最も西で最も標高の高いスタジオ!!(酒井家)
アコーディオンしか弾けず作曲も未経験の島崎勘が、堀隆雄の詩を勝手にいろいろ付け足し、わりとすんなりと曲をのせた。
録音も、もちろん初めて。
この時、酒井卓真ともそこまで、仲良くなかった島崎勘は余計に緊張し、とちりまくり!それでも、なんとかアコーディオン弾き語りの録音を終えたのである。
音楽の知識がない島崎勘は、ギターの音はキャンキャンしてほしい、ここでグワンと盛り上げて、など遠慮なく抽象的な注文をしまくって帰っていった。
2014年3月3日
奥多摩町を襲った数十年ぶりの大雪の影響でストップしていた録音が、ようやく再開!
島崎勘の弾き語りを元に、酒井卓真が、ギター、ベース、ドラムのトラックを製作。見事、抽象的な要求を具現化することに成功していた。
そのトラックに歌を試し録り。
まだまだ照れもあり、控えめなボーカルである。
しかし、へんなとこだけ妙にこだわる島崎勘は、コーラスや合いの手の録音には、異様に執着するのであった。
2014年3月13日
ギター、ベースの本録りが終え、アコーディオンのイントロ、ソロのフレーズが固まり、ついに最終レコーディング、ボーカル録音に突入!
酒井卓真「いい曲になりそうだから、歌の本当にうまいやつに歌ってもらうのもありかもね」
島崎勘(なんだと?これは、俺たち3人で作る曲だ!)
酒井卓真の言葉が島崎勘を本気にさせた。
鹿の呪いのパワーも加わった本域ボーカルに
酒井卓真「やっばり勘でいくのがいいな」と満足の様子。
酒井卓真の言葉が島崎勘を本気にさせた。
鹿の呪いのパワーも加わった本域ボーカルに
酒井卓真「やっばり勘でいくのがいいな」と満足の様子。
こうして、だべだべロックオリジナルバージョンが完成したのである!!
2014年3月15日
氷川保育園、発表会「ひな祭り会」にて、子どもたちが曲に合わせて踊り、初披露がされた!!
担任の保育士の作ったご当地ソングに合わせて、子どもたちがかわいく踊る姿に保護者の方々も拍手喝采であった。
ところが、次の日、酒井卓真が、落雪による大怪我で、入院。緊急手術をうけ九死に一生をえたが、長期入院となってしまった。
しかし、だべだべロックが、遺作とならなかったことことだけでも、関係者一同ほっとしたのであった。
6月より、本格的な宣伝がスタートする。
堀隆雄が、町内に配りまくり、島崎勘が、馴染みの店や、その他めちゃくちゃに配りまくった。
CDに描かれているプリントは、奥多摩町の子ども達が考えたキャラクターカードゲームを使用している。
中には島崎勘の考えたキャラクターも一匹だけいる。
君が手に入れたのは何かな?
酒井卓真もなんとか退院し、2014年夏は、奥多摩町の祭りで、だべだべが、大暴れなのであった!!
LEAVE A REPLY